年頭所感 うまくいっていると思うときこそ

安形です。明けましておめでとうございます。旧年中は大変おせわになりました。本年も、宜しくお願いします。

年末年始は愛知の実家に帰省をしていたのですが、寝泊まりしていた部屋にテレビが映らないので居間にいる以外は結局、読めなかった本を読んだり色々と書き留めたり、情報収集したりと、友人たちと遊んだ日以外はすっかり寝正月でした。7日に営業を開始し、珍しく?会社のみんなで初詣にいき軽い新年会がてらみんなで美味しいハンバーグを食べにいきました。

 

今回は日記から抜粋してみました。

 

すでに5期目に突入している月虹製作ですが、前期はここ数年で課題となっていたものが一気に解決したと思いきや、まるで雪かきのあとすぐに雪が積もってしまうように新たな課題が積りはじめています。終わりよければ全て良し、と言えど終わりのないこの仕事ですので「はじめが肝心」という意識で4年間経営してきましたが、この「はじめ」がうまくいかなければやはり経営上でのひとつの区切りとして終わり(決算)を良しにするしかないわけです。というわけで毎期、決算が近づいたりするとモヤモヤするのですが、どちらかというと損益など経営数値上のものではなく、来期はどんな期にしようかとわたしなりのヴィジョンが明確ではないときに、その時の数値にやたらとこだわる、という傾向があることが自己分析上でわかりました。

四十にして惑わず、という言葉が平均寿命が飛躍的にあがっている現代でも通用するのであれば、自身の精神年齢の低さゆえの未熟さ、を痛感せざるを得ません。

ただ今期はこれまでとは違い「はじめが肝心」を実行できたようで、数値上のことはもちろん、特に日常の仕事をしていくなかでも社内の雰囲気に良い意味での違和感を持ちながら5期目を迎え、すでに3ヶ月を経過することができました。最近、弊社へのお仕事の依頼や提案依頼がこれまでになく増加していることは大変嬉しいことなのですが、もともとがこのように小さな会社で、抜本的に拡大増員する計画もないことから、常にスケジューリングが必要な状態です。納期についてはお取引中のお客様を最優先にしておりますので、ご遠慮無くご相談ください。

うまくいっていると思うときこそ自分の仕事を疑う

ただこういった意識的にも、あるいは潜在意識としても「うまくいっているな」という自信や自覚があるときほど、やはり見えていないものもあるのではないかといつも自分を疑ってしまいます。素直に少しくらいはいい気になっていもいいのかもしれないのですが、もともと心配性な性格も災いして、あれはどうなってるこれはどうなっていると入社してまだ1年も経たない総務の町村へ重箱の隅をつつくような確認をお願いしたり、デザイナーとエンジニアへ、全く心配いらないようなことも念のためと、動作チェックを強いているわけです。


また、できていると自負した仕事こそ、どこかで手を抜いているのではないか、とも思います。自分自身の仕事に対する能力や、結果を鵜呑みにしたとき、心のどこかで慢心が生まれ、ちょっとした気のゆるみが大きな問題に発展することを何度も経験してきました。「あのときこのボタンをクリックしておけば。あのとき念のために目視確認しておけば」と、特に製作するものに関しては、同じ失敗を繰り返さないためにいつも自分の仕事を自分で疑うよう、社内にも口酸っぱく言っています。どんなに気をつけていても完璧な仕事はないのですから、どこまでベストを尽くすことができるか、にかかっているのだとわたしたちは考えています。

 

誤解がないように言っておきますが、大きなトラブルや長期に渡って解決ができないような不具合をやらかしてしまったから戒めのために書いている、というわけではありませんからね 笑。いろいろなものがうまくいっていると感じるとどうしても心配になってしまうのです。

 

足元をすくわれる、とはよく言ったもので、うまくいっているときほど遠くを見るようになってしまい、いまの自分がどのようにあるのかを冷静に分析できておらず、その隙をついてやってくる様々なトラブルに慌てふためく自分が目に浮かんだりするのです。だから気を配れるものの範囲で、すぐに確認できるものは確認する、そして改善する、という癖がついてしまい、会社のためとはいえ最近は社内のリソースを使い過ぎたかなと少し反省しておりました。

 

しかし、足元を眺めてばかりで未来への希望が見えない、というのも寂しいので、ちょっとした現実的な期待や身の丈より少しだけ大きな野望を持ちつつ、いまここで起きている現実(とにかく製作物)にしっかりと目を向けて、わたしたちなりに地道にやっていくのが一番なのではと初心に帰る年始でした。

久々に心情をつらつらと書いてしまいました。
初心忘れるべからず。